シムヘア|スタッフ紹介

-スタッフ紹介-

スタイリスト

平田さん

平田 晶子

有馬さん

有間 多恵子

柴田さん

柴田 恵一

横山さん

横山 定昌

横山 二千江

スタイリスト
平田 晶子(Akiko Hirata)
3月31日生まれ O型

こんにちは、平田です。日頃はシムヘアに御来店頂き、ありがとうございます。数ある美容室の中から私達のサロンに来て頂ける事、本当に感謝しております。シムヘアのお客様は「みーんなキ レイ」が私の理想です。

趣味:読書
好きな言葉:不言実行
休日の過ごし方:日頃、子供とゆっくり遊べない分、なるべく一緒に過ごしています。
夢:美容の分野はヘアだけでなく、メイク、ネイル、エステ、ブライダル、健康とトータルでお客様のキレイのお手伝いができる、お店にする事。
仕事に対する思い:年齢を重ねる事に、改めて美容師の仕事が好きだと云う事に気付かされます。好きな事は時間やいろんな事を忘れて頑張れます。そんな気持ちで毎日、働いています。
コメント:小、中学生の時の、好きな科目は体育、音楽、美術、国語と曲型的な文科系(アクティブな)少女でした。高校2年までは大学進学(お嬢様(^.^))を目指していましたが、アルバイトを始めて自分でお金が稼げる事が楽しくなり、諦めました。
当時、お化粧(今はメイクという言葉が主流ですが)は大好きで、いつもこってり塗っていました(^.^) もちろん似合っていませんでしたが・・・。
担任の先生の勧めもあって美容学校へ入学、卒業、気が付けば美容師歴も15年になります。そのうち5年間はサロンの店長も務めましたが、平和主義の性格が災いし、やはり、お客さまをキレイにする事だけに集中できる、いちスタイリストが向いていると今は思っています。大手サロン2店舗で働かせてもらいましたが、はじめのサロンでは、社会人、人間としての美容を、次のサロンでは技術の美容を教えてもらう事が出来て、それぞれのオーナーとの出会いには本当に感謝しています。
15年というととても長い年月に聞こえますが、今振り返るとあっという間でした。
まだ、20代前半のころ先輩たちが口々に「仕事が面白く(楽しく)なるのは30歳からだよね」と言われていたのを思い出しますが、本当にその通りです。20代は覚える事、学ぶ事、吸収する事に夢中で、楽しいと気づく余裕が無かったのでしょう。25歳のころ日本メイクアップアカデミー大阪校に通い卒業もしました。
30代になり、結婚、出産、を経験してからは、いつでも仕事に復帰できる場所がある事への感謝の気持ちもうまれて、ますます、美容師でいられる事がとても幸せな事だと思えます。美容師って、お客さまがキレイになられる場面をたくさん見られて、自分もキレイに敏感でいられて、いいスタイルができた時は嬉しくて・・・。
お客さまに「ありがとう」とお礼の言葉を頂ける時、“美容師で良かった”と思えるのですが、それが毎日味わえて、こんな幸せな仕事ってなかなかないと思うのです。
その時、その人に一番似合うヘアスタイル、メイクを提供させて頂けるようにこれからも探究し続けます。

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スタイリスト
有馬 多恵子(Taeko Arima)
9月8日生まれ A型

いつも応援して下さり、ありがとうございます。皆様のご期待に添えるよう、技術向上に努力していきたいと思っています。さらに楽しい空間作りを目指しますので、これからもよろしくお願いいたします。

趣味:ラーメン食べ歩き・お笑い鑑賞・インテリアショップに行く
好きな言葉:有言実行・ありがとう
休日の過ごし方:なるべく家にこもらず、外に出る。散歩、買い物など
夢:いつまでも美容師でいる事
仕事に対する思い:今までもこれからもずっと美容師の仕事は私から切り離せない大切なものです。お客さまがいてくれるからこそここまでやってこられたし、素敵な職業だと思えます。技術はどんどん新しくなっていくのでついていけるか不安になる時もありますが、道を切り開くのは自分自身なのでこれからも何事にも興味を持って対応していきたいと思います。
コメント:責任感があり、何事も真面目に取り組むが飽きっぽいのが悪いところ。
私が美容師になろうとしたきっかけはテレビや雑誌などの舞台裏である『ヘアメイクさん』に憧れたからです。ミーハーですよね。
小、中学校と普通に楽しく生活し、高校は家から近いという理由だけで進学校に入りました。進路を決めるのに大学受験か…という時に、大学へ行く目的が見つからず手に職をという気持ちで美容師になろうと思いました。
当然、親の反対もありましたが、何とか説得し、美容師の道に入る事が出来ました。
最初の3年は毎日シャンプーばかりで手がただれ、ヤケドのように荒れました。人生の中で1番辛かったってくらい大変でした。
それから練習をたくさんしてスタイリストデビューしてからは毎日が楽しく、何にでも挑戦し、充実した日々でした。
その頃カラーリストとして特別に勉強していき、ヘアーショーや講師のお仕事もさせていただきました。私にとっていい刺激になり、ますます美容師の仕事が好きになりました。
その後、岐阜市の郊外にある大型店の店長を任され経験を積みスタッフ教育や、人間関係の難しさも体験しました。
今思えば、辛い事もたくさんあり楽しい事もたくさんあったわけですが、辞めなかった1番の理由はお客様とのお店での楽しい時間があったからだと思います。 いろんな方々に助けられ励まされ勇気づけられ…それが私になっていると思います。
これからも感謝の気持ちを忘れず、続けていけたら幸せです。

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スタイリスト
柴田 恵一(Keiichi Shibata)

趣味:デイキャンプ 山や川でのんびり過ごす事。趣向品の収集、コレクション。
好きな言葉:やれない事は、無い。
休日の過ごし方:天気と気分次第で突撃デイキャンプへ。他にも道の駅での食べ歩きや、アウトドア用品の情報収集、ショッピングへ出掛けます。
夢:生涯技術者。

コメント:私、実は出戻りで御座います。高校卒業後、横山店長の元で7年ほど美容師として育てて頂きましたが退社致しました。その後は全く別の分野へ再就職しました。創る事に信念を持ち続けましたが、時が経つほどに理想と現実のズレが広がる結果に。転職と言う自分の選択を自分で納得する事に限界を感じていました。もぉダメかも。。。そんな姿に見かねてか、一顧客として通っていたシムヘア、担当スタイリスト横山店長から「ご飯行こうか」のお誘いを頂きました。そこからは開いた口が塞がらない間に、再びチャンスを頂ける結果となり今に至ります。一度挫折を経験した私ですが心に秘め続けた思いが御座います。考えたら駄目だと諦めていた思い。今、声を大にして言わせて下さい。

美容師が好きです!!
自信も少々御座います!!

誠に勝手ながら再チャンスに恵まれた今、お客様とお店に感謝の想いを伝えられるスタッフになりたいと思います。それと共に美容師として学び、輝き続けたいと思います。宜しくお願い致します。

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スタイリスト
横山 定昌(Sadaaki Yokoyama)
8月9日生まれ O型

こんにちわ、店長の横山です。
お客様の“キレイになりたい”のお声にお応えできるように全力で努力していきます。

趣味:読書、筋トレ
好きな言葉:さあやるんだ、やり抜くのだ!(アントニオ猪木)
休日の過ごし方:ひきこもり
夢:私の回りの人を幸せにする
仕事に対する思い:お店に来て頂けるお客様はもちろん、働くスタッフにも「楽しく、美しく!」感動がたくさんのお店づくりを目指します。

コメント: 性格はたぶん短気で、わりと人情派。
小学生〜高校生までサッカーバカで、もちろん勉強はできませんでした。
岐阜市立美容学校卒、美容室に就職するが納得できない上下関係、年功序列の壁にお店をやめる。いろいろな他職業のアルバイトをしてみて、美容師の楽しさに改めて気づく。
1995年 県内大手美容会社に就職、
1998年 25歳 日野支店 店長就任
2002年 29歳 日野支店の経営権を買い独立
独立後、一気にお客様がこなくなる。それまで広告宣伝、教育、経理などすべて会社任せにしていた為、お客様のヘアスタイルは作れるが店の運営能力がゼロな事に気づく。
当時、ヘアコンクールなどで賞を獲得、他の美容室数店舗にカットを教えに行っていた事から、絶対に良いヘアスタイルが作れると自信だけは溢れていたがお客様が来てくださらないことにはどうにもならない。
「もう駄目かな・・・・」と諦めかけたことも何度か。お客様が来ない美容室で一日を過ごすのは、本当につらくて、気がおかしくなりそうなぐらい、つらくて。いつもどうしたらお店にたくさんのお客様がきてくださるのか?美容師もお客様も楽しく満足のいく時間をすごせるのか?考えていました。
1.来て頂けるお客様には丁寧に感謝の気持ちを込めてヘアスタイルを作ること。
2.周りの方に褒めて頂ける良いデザインをつくること
3. 来て頂いた髪の状態より良い状態で帰って頂くこと
この3つを徹底、追及しました。守れない時はお断りすることにしました。
少しでも売り上げがほしいのに「今の状態ではパーマをかけることはできません」とお断りするのですから、命懸けです。
2ヶ月後、1年後、10年後を考えてヘアスタイルを作る、生涯顧客というお店の基本がこの頃出来上がりました。
少しずつお店も忙しくなり、新しくシムヘアをオープンさせる事が出来ました。(もちろん、ぜんぜん私の力ではなく、一緒に働いてくれたスタッフ、周りの力になってくれた人たちのおかげです、感謝。)

2007年 11月06日 C.I.M hair kanazono オープン
 
今から考えると私は2002年独立当時、ブランドサロンにいたというプライドが先に立ち、なぜ私の技術をわかってくれないのか? なんて思い上がった考えがあったのかもしれません。

「お客様の髪を真剣に考える想いは、伝わり喜んでもらえる、きっとお店を続けていける!」と学び、目一杯綺麗にしてさしあげる事にひたすら取り組んでまいりました。
シムヘアに来て頂くお客様には同級生、お友達、近所の奥さんより絶対に綺麗でいてほしい、綺麗にするための最新の技術の勉強をこれからもさせていただきます!!

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スタイリスト
横山 二千江(Nichie Yokoyama)

性格は自分では思いませんが、人からは几帳面でやさしいと言われます。23歳の時、美容師を始め「パリー院」という従業員40名程、同期も7名という大きな美容院で修業時代を過ごしました。今の時代は修行などという言葉が似合わない時代ですが、私たちの時代はまさに修行、それは厳しいものでした。誰も泣かない日は無いというぐらい毎日誰かは泣いてしかられてばかりの日々でした。

それでも素晴らしい先生の技術を盗んで早く独立しようと必死でした。がんばれた思いの中にはこの辛さから早く抜け出したいという思いがありました。
当時は5〜6年で自分のお店を持つのが普通でしたので、私も28歳の時、独立して「ケイ美容室」をはじめました。 何しろ当時は看板を変えるお金も無く、借りた店舗についていた名前をそのまま使う事にしたのです。(今の経営者の方はおしゃれな名前をつけますから、考えられないと思いますが)
 最近の美容師さんはカットが得意でしょうが、私たちの時代はセット(アップ)や着付けがメインの時代です。来る日も来る日もセットで、休みもなく働きました。柳ヶ瀬がにぎやかでしたので、毎日、忙しく婚礼のお仕事もたくさん頂きました。時には岐阜に訪れた女優さんのセットや着付けをする事もありました。
10年が経ち手狭になったためお店を移転しました。まだまだパワーがあったのでしょうね。勉強、講習と積極的にやっておりましたので、着付けのコンクールで賞を頂いた事もあり、いい時代でした。働いて遊び、また一生懸命働いて・・・、あっという間の40年でした。時代とともにお客様方の年齢も上がり(私も年をとりますから当然です)、中には亡くなられる方もみえ、お客さまも少しずつ少なくなって行きました。昨年、「ケイ美容室」を閉めて息子と共にシムヘアで働く事になり、これ程、嬉しい事は無いという思いでしたが、いざ40年お店やってきたうちの30年間過ごした「ケイ美容室」と別れる事になってみると、涙が出ました。今は若い人達に囲まれて、私をかわいがって下さるお客さまと共に、私のペースでお仕事をさせて頂いていますが、私の年齢で少しでもお仕事があるというのはありがたいという思いでいっぱいです。何十年も私についてきてくださる事にも本当に感謝いたします。美容師になって良かった、とつくづく思います。これからも体力の続く限り、お店に出たいと思いますので、宜しくお願い致します。

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